めもちょう

ひたすら愚痴や独り言です

上手に判子が押せました

ども。昨日のケーキ、写真の左側のオレンジ(みかんかも?)が乗ってる奴食べた。 ヴァです。


昨日のケーキ、噂に違わず、めっちゃめちゃうまかったです。
口の中でふわぁ~と溶けるんです。久しぶりに旨いケーキ食ったなぁ。←池袋のデパ地下のケーキは食い荒らしたことあったけど、あれもこれも食べてみたい!と思うほどのお店にはめぐり合えたこと無い。(あ。アンジェリーナっていうケーキ屋←もともとはフランスのレストラン?モンブランが有名。 の2500円の小さいホールケーキは死ぬほど旨かったけど、現在は作って無いのでもう食べられない)

あ~ん。もう一回食べたい。けど、体重計が…。




相変わらず2ちゃんねるのまとめブログを徘徊しているおいらですが、昨日、こんな記事を見た。
http://blog-imgs-35-origin.fc2.com/t/o/a/toanewsplus/SSI_20120209173421_V.jpg  
▲ソウル大奎章閣(キュジャンガク)に保管中の国宝151号朝鮮王朝実録五台山史庫本。
写真の上側の小さい捺印が「ソウル大奎章閣蔵書印」で、下方に大きく見えるのが「東京帝国大学印」。平昌郡提供

国宝151号の‘朝鮮王朝実録五台山史庫本’にソウル大側がやたらと捺印したとして、江原平昌郡が抗議書簡を送り波紋を呼んでいる。

平昌郡は9日、仏教界と地域市民団体が中心になった文化材元の場所席探しの要請により2006年、日本から還収されソウル大奎章閣に保管中の朝鮮王朝実録五台山史庫本表紙裏面にソウ
ル大側が「ソウル大奎章閣蔵書印」とむやみに捺印して傷つけたとし、抗議書簡を送ったと明らかにした。

郡と文化材元の場所探しはソウル大奎章閣院長宛てに送った書簡で「朝鮮王朝実録は日帝強制支配期に奪われた後、2006年奉先寺(ポンソンサ)と月精寺(ウォルジョンサ)、平昌郡民、文化材元の場所探しなどが朝鮮王朝実録還収委を構成して3度にかけて東京大と交渉した結果、ソウル大を通じて寄贈形式で返還された。」と説明した。

また「朝鮮王朝実録は1973年、国宝151号と指定され落丁が発見されれば別途の手続きなしで 直ちに国宝指定されると指定予告された文化財」として「このような文化財文化財庁の現状変更許可なしに捺印したことは納得できないことであり、ソウル大が最終所蔵先に決定されなかった状態で国宝を傷つけたことは重大な犯罪行為」と主張した。

平昌郡と文化材元の場所探しは「ソウル大奎章閣は来る28日まで実録に捺印した事実について7000万民族の前に反省文を提出することを要請する。」としながら「反省文を提出しなければ直ちに文化財保護法違反容疑で刑事告発措置をする」と通知した。

これに対して奎章閣のある関係者は「まだ書翰文を見ていない状態だから何も答えられない。」としながら「受けとった後、対応策を議論する。」と話した。

チョ・ハンジョン記者



また、日本がー!とか書いてあるのか(眉間に皺)と思ってよく読んだら、2006年に「韓国国内の原本失くしたから日本の持ってる写本を返せ返せ」とあまりにもしつこかったので、しょうがないから東京大学からソウル大学へ譲り渡した本に、ソウル大学が勝手に「これ、ソウル大学の物~」って判子押しちゃったそうで、ソウル大学謝罪と賠償しろ!っていう記事だそうです。(ソウル大学に譲り渡したけど、物は韓国国宝だそうです。東京大学からソウル大学へ譲ったけど、その後は何処が管理するのかまだ決まってなかったらしい)普通は自分のものかどうかも分からないものに勝手に判子つかないよね)
日帝時代に韓国から奪われた!って大騒ぎで、あんまり五月蝿くてしょうがないから譲ってあげたのに(日本はちゃんとした手続きをとって「写本」を譲り受けたのに、向こうは奪われた、としつこかったらしい)、早速棄損(きそん←ものを壊すこと)しちゃいましたね。さて、この本が「無くなったー!」って騒ぐのはいつのことでしょう?
ソース元はハングルだったのでリンクしてません。(っていうか、全然ダウンロードできないので。どうせハングルなんか読めねーし)←NHKは最近の若者にハングルが流行してるとか捏造番組放送してましたけど、おいらの周りでハングル読める人なんか一人も居ないけど。

つか、ソウル大学の学生ですらハングルしか読めないそうですけど(最近の若い世代の韓国人、自分の名前も漢字で書けないんですって)、たしか、ソウル大学って韓国で一番頭のいい大学じゃなかったっけ?研究してても漢字読めないんだね。←ハングルに訳された(訳されたって、ハングルって日本のひらがなみたいなものらしいけど)のを使って研究してるらしいですよ。おいら、ひらがなしか書いてない本なんか、逆に読めないよ…。(かといって、漢字のオンパレードも読めませんが)
日本と中国にはさまれてるのに漢字捨てるとか意味分からん。かといって、英語が喋れるわけでも無いみたいだし。(韓国語は日本と文法がほとんど一緒だから英語の文法に慣れないのは日本人と一緒でしょ?)

写本は東京大学が寄贈する前にマイクロフィルムにとってデータ化してるらしい。(中宋って奴を開いたら、朱墨で鬼のように添削(?)されてます)翻訳とか何も載って無いので、何が書かれてるのかさっぱり?

憲法の記された原本も韓国で既に紛失したらしいし、古文書を素手で平気で触っちゃうらしいし(普通は手袋するでしょふつう)、国宝第一号の南大門は放火しちゃうし(はじめ、近くを走っていたタクシー運転手が「日の丸の描かれた袋を持った日本人が南大門へ入っていった」とか言ってたそうです。犯人は韓国人の男で、すぐに捕まってましたけど。日本人は日の丸の付いた袋なんか海外で持ちあるかねーよ。悪事は何でも日本人のせいか。←韓国人が海外で悪いことして見つかったら、日本語で「すみません」って謝るんですって。あと、初対面で何処の出身か聞かれたら、日本か台湾って答えるんですって。←テレビで韓国人がニコニコ笑って言ってたので実話)。それから、日本から奪い返した御自慢の6つの玉璽(皇帝とかの印章のこと)は現在行方不明ですって。朝鮮王朝時代の国璽(国の判子のこと?)13個もすべて紛失。一般行政用の玉璽(書類とかに使う判子の事かな?)26個中21個が行方不明だそうです。
なんでも失くしちゃうんだな。


<サッカー>行方不明の“宝物”アジアカップ優勝トロフィー、実は…

2012年01月18日10時36分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/upload/images/2012/01/tmb240_20120118105247-1.jpg 写真拡大
1956年第1回アジアカップサッカー大会の優勝トロフィー(左)と、当時の選手団の記念写真(写真=サッカー資料収集家のイ・ジェヒョンさんの提供)。
  大韓サッカー協会が10年以上前から探し続けてきた1956年第1回アジアカップサッカー大会の優勝トロフィーが見つかった。隠れていたのではなく、大韓体育会が運営する韓国体育博物館に12年間展示されていた。
  サッカー協会は85年に優勝カップを大韓体育会に寄贈したが、このことを忘れていた一方、大韓体育会も説明文一つなく置いていた。トロフィーは酸化作用で文字が黒く変わり、一部が消えている。
  堂々と展示されていた‘韓国サッカー宝物’が分からなくなるというのは、過去をあまりにも簡単に忘れてしまう韓国人の姿を表しているようだ。



……………。良いことも悪いこともすべて忘れちゃうんだな、韓国って…。記念のトロフィーすらちゃんと管理できないなんて…。せっかく先人がアジアで一位になっても後人がその思い出大切にしないんだもん…。
その割りに従軍慰安婦だけはいつまでもいつまでも…。
戦争に参加すらしてなかったのに「我々戦勝国」とか言うし…。戦争して無いのに何処に勝ったっての?朝鮮戦争だって終わって無いんだから、韓国が戦争に勝ったことなんか歴史の教科書の何処にも書いてませんけど…。


自爆するのは勝手ですけど、傍から見てて、あきれる事しきりでした。



でわでわ